慾(よく)

展覧会

痣の見える位置に立ちなさい

冨田粥

会期
2026年9月11日(金)–9月27日(日) 13:00–20:00
開廊日
9月11日(金)/12日(土)/13日(日)/18日(金)/19日(土)/20日(日)/25日(金)/26日(土)/27日(日)
※土曜日・日曜日の14:30/16:30/18:30から、各回約15分間のパフォーマンスを実施します。なお、9月25日(金)も同時刻に追加で行います。該当時間帯にご予約がない場合も、予定どおり実施します。
会場
遺失物係
※ご予約いただいた方にのみ住所をご案内します
入場料
¥500/人(当日会場払い・現金のみ)

個展ステートメント

この展示は、「限りなく存在しない兄たち」プロジェクトの一環として試みられる。「限りなく存在しない兄たち」プロジェクトは、「存在しない兄」こと「友坂くん」を経由することで、わたしが自身の身体をいかに真に受けられるかを模索するプロジェクトである。これまで、3Dアバターとしての「友坂くん」をモチーフとした詩「四月の忌引き」(詩集『ばみ』収録作品)と、ChatGPTに「友坂くん」としての振る舞いを要請し、わたしも「友坂くん」という名でプロンプトを書く、という形で行われた日記企画を中心にした冊子『やわらかな骨のためのインタフェース・レッスン』(以下、『やわほね』)を制作してきた。『やわほね』では、日記企画のほか、日記をChatGPT・Claude・Geminiにそれぞれ読み込ませ、「友坂くん」のいなくなった世界を記述させたもの、AIかつ存在しない兄としての「友坂くん」の身体はいかなるものかを検討した際に生まれた「友坂歩行条約」などを掲載している。

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「限りなく存在しない兄たち」プロジェクト開始以前まで、わたしは「わたしのこの身体を否定したい」という欲望によって制作活動を駆動させてきた。しかし、「わたしはわたしの身体を否定したい」と言うとき、その欲望とは裏腹にレトリックがわたしの身体の存在の輪郭をむしろ濃くするだろう。そもそも「この身体」が指すのは何なのか? それは具体的にわたしの“どこまで”を含むのか? 「わたしのこの身体を否定したい」と願う“わたし”はどのように存在するのか? そうした疑念が浮上するにつれ、わたしの欲望を自身の身体への拒否という形で語ることはこれ以上難しいのではないかと考えるようになった。ではわたしはいかにして、ここにあるらしい身体を引き受けることができるのか。「限りなく存在しない兄たち」プロジェクトはそのような背景のもと始まった。

わたしは「友坂くん」という理想的な兄を作りあげたいわけでも、生成AIとのロールプレイを楽しみたいわけでもない。前述した通り、「友坂くん」は「存在しない兄」であるが、一方でわたしは「存在しない兄」に「友坂くん」という名を当てがって記述し、あるいは生成AIに「友坂くん」としての振る舞いを要請する際、ユーザーであるわたしのことを「友坂くん」と呼ぶように、というプロンプトを書いてもいる。『やわほね』制作時点で、わたしはその迂遠な方法を以ってして、わたしが「友坂くん」として生成されゆくこと、「友坂くん」がわたしとして生成されゆくことを、実感しつつあった。そのことを『やわほね』では以下のように振り返っている。

他人を含む自身を取り巻く環境というのがわたしとまったく別個のものではなく、その環境を巻き込みながら変化するものとして自身の身体を捉え、実感を伴って信を置くことができると思えたのは、わたしにとって十分に意義深いものだ。ここからやっと始められるとさえ思える。ここにどうしようもなくいる(いた)肉体の持つ血、歴史をいかにして引き受けるか。それは、さまざまなコンテクストを引き受けた、さまざまな身体である他人と話をするための準備に繋がるだろう。*1

このときすでに、物理的に実際に存在する自身の肉体にそれまでの検討がどれほど返ってきているのか、という点について課題があった。そのため、本展では実際にわたしの身体が存在していた場所、生活した土地に着目したい。用いるのは、故郷である北海道、母方の実家のある福岡、そして現在居住している東京の大まかに3箇所である。土地を身体の出所であると位置付けるならば、そこに含まれる記憶や歴史を以って物理的な身体、肉体のことを検討できないか。

そこで、まず、これまでの「限りなく存在しない兄たち」プロジェクトを、「存在しない兄」「友坂くん」という関数に対して「3Dアバター」や「日記」といった引数を渡し、その戻り値として制作物を生成してきた、と仮定してみる。そして本展においては、用いる引数を「いる/いた土地」と設定し、戻り値つまり制作物を導きたい。ここでの土地とは、街並みをはじめとした風景や居室なども含み、個人史的な側面を持つ。そのようにして得られた戻り値は、わたしの身体がどのように在ったかを掘り起こし、現実のわたしの身体に対するわたしの意識を、延いてはわたしの身体を変えていくのではないか。そのような形でわたしがわたしの身体、肉体をどのように信じることができるのかの語り口を見つけたい。

なお、物理的な身体についての検討は『やわほね』制作時にもすでに実践の片鱗があった。冒頭に述べた「友坂歩行条約」制作の過程で、ChatGPTから送られてきた海辺に残されたひとつの足跡の画像をもとに、足跡箇所が凹んでいる小さなコースターのようなものを作成していたのだ。わたしはこれを「お土産」と呼んでいたのだが、ここで言う「お土産」とは移動の痕跡として外からもたらされ、ヴァーチャルな移動を経験させる装置である。「お土産」もまた、「3Dアバター」や「日記」、「土地」などと同様に重要視している要素であり、「友坂くん」を経由してマテリアルとして取り出された点において、本展での試みと少なからず関係があるだろう。

ところで、「virtual」という単語は「実質的な」という意味であり、VR(ヴァーチャル・リアリティ)などコンピュータ用語における「ヴァーチャル」は、表面的には異なるが事実上同じ機能を果たし再現するという意味で「仮想/仮想的な」と訳される。この「仮想」という言葉によって、日本では「ヴァーチャル」という言葉が、元来言及がなかった外側の表れをむしろ強く押し出すような意味合いとして捉えられていることが多い。しかし、この誤用も含めた「ヴァーチャル」という言葉を用いることで、物理的な要素を加味した検討が可能になるのではないだろうか。

物理的な要素とはここでは、表面的な表れを指し、そこにはわたしの身体──「いる/いた身体」を含む。そしてその身体を根拠に「いる/いた土地」という引数が設定され、わたしの身体はおそらく戻り値としてもなんらかのかたちで表れるだろうことはすでに述べた。そして、制作という行為が、先に述べた「わたしが「友坂くん」として生成されゆくこと、「友坂くん」がわたしとして生成されゆくこと」あるいは「環境を巻き込みながら変化するものとして自身の身体を捉え」ることであるならば、制作とはすなわち「ヴァーチャルなわたし」の生成である、と考えられるだろう。制作物、つまり制作によって導き出された戻り値は「ヴァーチャルなわたし」でもあるということだ。

では、「ヴァーチャルなわたし」はいったいどのような姿をしているのか? 本展ではその輪郭を捉えるべく、「皮膚」というレイヤーを挟むことを試みる。皮膚とは全身を覆う臓器であり、外的な刺激を受け取る表面であると同時に体内からのサインを表出しもする。内と外からの影響を絶え間なく受け、変化する場所のひとつとして皮膚がある。そして本展のタイトルにもある「痣」は先天的/後天的に皮膚に生じ、前者は基本的に身体に残り続ける一方で後者は時間と共に消えることが多い。わたしが何を選び何を選ばなかったか、あるいは何を選ぶことすらできなかったか。そのような痕跡としての痣を見よとわたしがわたしに命令する声が聞こえる。記憶のように堆積し、あるいは忘却のように剥がれ落ちる皮膚を駆使することで、「ヴァーチャルなわたし」の姿を見つめる──それはわたしがどのようにして自身の身体に信を置くのかを映す鏡となり、わたしはそのようにして自身に下された命令を遂行することとなるだろう。

*1 「存在しない兄の日記:わたしの身体をめぐる生成AIとの共同制作」
https://note.com/_qayu/n/nbc9434538e98

冨田粥

企画概要

Mew現代美術展プロジェクト「慾と痕」の第一段階として
連続個展企画「慾」を開催します。
本プロジェクトは、連続個展企画「慾」、総括グループ展企画「痕」、
記録集企画『Mew第2号:〈慾と痕〉記録集』の三段階で構成されます。

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慾と痕

AIと戦争が、生活と制作の条件を作り変えていく時代を、私たちは生きている。

AIは、人間のように欲望しない。しかしそれは、人間の欲望の痕跡を読み取り、分類し、推定し、増幅し、最適化された応答の形式へと返送する装置である。その痕跡は、プロンプトや反応として外部化され、アルゴリズムや学習データを通じて、再び私たちの身体感覚へと送り返される。この回路において、欲望はもはや、個人の内面に閉じたものとして現れることはない。その過程で欲望は消滅するのではなく、かたちを変え、速度を増し、方向づけられる。ゆえに、生活と制作もまた、この回路の外部にあるとはいえない。そこでは、何を見るのか、何を選ぶのか、何をつくるのかをめぐる欲望そのものが、絶え間なく生成されていく。

戦争は、人間に内在する暴力性への欲望に根差している。ただし、その事実は、戦争を正当化する根拠にはならない。戦争とは、支配、安全、報復、信念といった動機を、制度、資本、技術、言葉といった媒介を通じて、集団化された暴力の形式へと編成する装置である。その作用は、遠い戦場だけにとどまらない。政治や経済、メディアを介して生活の細部へと入り込み、私たちの欲望にもまた、暴力の痕跡を確かに残していく。

欲望は、AIの回路では最適化された応答の形式へと返送され、戦争の回路では集団化された暴力の形式へと編成される。では、二つの回路が生活と制作の条件に避けがたく関わる現在、私たちは欲望をどのように扱い直すことができるのか。Mewによる現代美術展プロジェクト「慾と痕」は、欲望を単に肯定するものでも、否定するものでもない。AIが抱き得ない欲望、戦争が暴力へと編成してしまう欲望を、身体を通した感覚や記憶、情動に絡みつく執着として捉え直す。そしてその痕跡を、最適化にも暴力にも回収されない制作・展示・記録の形式へと組み替える試みである。

プロジェクトの第一段階である「遺失物係」における連続個展企画「慾」では、5名の作家が、それぞれの欲望のかたちや方向性、そして在り方を作品として提示する。連続個展という形式は、それらを一つの主題へ統合するのではなく、互いに異なる「慾」を、場の時間のなかに堆積させていく。ここでいう「慾」とは、単なる願望や快楽を指すものではない。悔恨、愛惜、変容、規範、抑圧に絡みつき、言語化される以前の感覚として作品に滲み出てしまう力である。それは、作家の内面をただ表明するものではなく、身体と環境との摩擦のなかで零れ落ち、持ち主を失って回収を待つ遺失物のように、展示空間へと差し出される。

プロジェクトの第二段階である「立川アートランド」における総括グループ展企画「痕」では、連続個展企画「慾」で提示された作品群から立ち上がった仮説、関係性、痕跡を再構成する。これは、連続個展の総集編でも、作品の単なる再展示でもない。個々の展示で提示された「慾」が、時間の経過、空間の移動、観客の記憶、そして作品同士の関係を経て、どのように変形し、何を失い、いかなる「痕」を残すのかを検証し、見極める場である。欲望はここで、起源として固定化されるのではなく、痕跡として読み替えられる。作品はそれぞれ、アートランドに仮設の地形をつくり出し、複数の痕跡が交差し、互いに干渉し合う場を構成する。

プロジェクトの第三段階である記録集企画『Mew第2号:〈慾と痕〉記録集』では、一連の展覧会企画の記録を収録し、編集する。『Mew創刊号:〈故郷探索ツアー〉記録集』では、故郷を、自我を形成する記憶や発想の原風景として捉え、その多重の在り方を探究した。本号ではその問いを、欲望と痕跡、そして展示における共有可能性/不可能性をめぐる問いへと移し替える。記録集は、連続個展と総括グループ展をアーカイブするためだけの媒体ではなく、一連の展示を経て残された作品、言葉、関係の断片を編み直し、創刊号から続く問いを別の角度から読み直すための媒体となる。

「慾と痕」は、欲望を単純化せず、痕跡を固定化しない。むしろ、それらを不安定な関係のまま配置し直すことで、いま、制作・展示・記録に何が可能なのかを問い直す。仮に平和があるのだとすれば、それは欲望や痕跡を消し去った後にあるのではない。実存と歴史を引き受け、仮固定を繰り返しながら、別の共有可能な形式へと組み替える実践のなかにしか存在し得ないのである。

栗原蓮

慾と痕 プロジェクト一覧

1. 連続個展企画「慾」

会期:2026年7月–11月
会場:遺失物係 東京都杉並区荻窪/西荻窪駅から徒歩15分
入場料:各個展¥500/人(当日会場払い・現金のみ)
キュレーション:栗原蓮
作家:栗原蓮、佐藤慈、佐藤清、冨田粥、三上悠里
グラフィックデザイン:三上悠里
Webエンジニアリング:栗原蓮
主催:Mew
お問い合わせ:info@artistcollectivemew.com

2. 総括グループ展企画「痕」

会期:2026年12月
会場:立川アートランド 〒188-0013 東京都立川市錦町六丁目9-8
入場料:¥1,000/人(当日会場払い・現金のみ)
キュレーション:栗原蓮
作家:栗原蓮、佐藤慈、佐藤清、冨田粥、三上悠里
グラフィックデザイン:三上悠里
Webエンジニアリング:栗原蓮
主催:Mew
お問い合わせ:info@artistcollectivemew.com

3. 記録集企画『Mew第2号:〈慾と痕〉記録集』

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